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しかし運営の要である教育長は専任が七名のみで、二一六ヵ町村は助役などの兼任であった

教育委員任命制となる

一三年七月の都道府県教育委員会の選挙にあたって、日教組は多数の組合員と推薦

〓補を当選させた。○IEの教育課長が「日教組の教育委員会支配は望ましくない」

と警告したほどであった。GHQは国内労組の急速な左傾化に重大な関心をもち、次々とその対策を講じた。そ

の一つが、二四年の第二次教育使節団と、いわゆる党員を排除するレッドパージである。

この意向を受けて東京都教委は二四六名の教師に辞職を勧告し、十数県がこれにならった。秋田県では二四年

一〇月不当労働行為があったとして懲戒免職を含む四三名の処分をおこなった。

日教組は二七年六月教師の倫理綱領を作成し抵抗姿勢を示したが、政府は次々と日教組対策の法案を準備した。

二九年二月、政府は教育公務員特例法改正

公立学校教員の

政治活動禁止

と義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保

に関する臨時措置法

政治的教

育の禁止

)案の国会提出を発表した。日教組は直ちに闘争宣言を発し一斉休暇を実施したが、

政府は方針をつらぬき五月にこの法律は成立した。次いで三一年三月地方教育行政の組織及び運営に関する法律

地教行

法案

〓)を国会に提出、六月この法案をめぐり混乱するなか警官隊を導入して強行可決し、公布した。

このいわゆる地教行法による最大の改正点は、財政権を教育委員会から削除して一般行政に従属させたことと、

教育委員を市町村長が議会の同意を得て任命するという、公選制から任命制に変えたことである。これによって

肥方教育行政に加わっていた組合系委員の一掃がなされ、教育長は都道府県の場合は文部大臣の承認を、市町村

では議会の同意を得て首長の任命により県教委の承認を必要とすることとなった。かくて教育行政は文部省から

案(

県教委・市町村教委と一貫した体系が整備されることになった。