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道徳の時間において教科・特別活動と密接な関係を保ちながら行われることとなった

秋田県教育委員会は、県北・県南・中央に小中学校各一校ずつ、計六校の研究指定校を委嘱し各郡市に浸透を

はかることにしたが、その指定校に県北は鹿角郡錦木小学校と能代市の東能代中学校が選ばれた。

これらの指定校はいずれも秋教組のさかんな妨害のなかで研究が行われた。その成果はやがて全県道徳教育研

究会の結成や道徳副読本の刊行などにつながっていった。

特殊教育

唾者や肢体不自由児、精薄児等に対する特殊教育は、従来は慈善事業として位置づけられて

いた。第二次教育使節団来日以降は、人道的な立場から教育の機会均等の思想に基づいて取り

上げられるようになった。

元県立盲

秋田県の特殊教育において先駆的役割を果たしたのは、ともに毛馬内出身の伊藤良三

)と豊口鋭太

晒学校長

郎である。伊藤は昭和七年これからの聾晒教育は手話法から口話法によるべきであるなどとし盲唾学校の課題解

決に努力し、県立学校の基礎を確立した。豊口は一二年六月、盲・聾・唾三重苦の聖者ヘレン・ケラーを秋田に

招くことに尽力し、ともに秋田県特殊教育の先駆者であった。

県は特殊教育の振興のため、三三年二月花輪小学校と河辺郡大正寺小学校を研究指定校に委嘱し、専任教員を

増置することとした。花小の専任には、折よく中学校から転任してきた熊谷チヨ教諭が就任した。同年四月、特

殊学級さくら学級が全校の精薄児一〇名を対象に開設されたが、以後軌道に乗るまでは苦難の連続であった。し

かし熊谷教諭の鏤骨の努力によってその学級指導は驚異的な効果をあげ、三四年五月渡辺県教育長が視察に訪れ

その成果に驚いた。さくら学級の名は全県下に轟き、県内外からの視察者が多数訪れるようになった。