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熊谷教諭は一〇人の子どもと食事を共にし、一緒に教具を工夫しながら実践をつづけた。教研集会で同教諭が

発表したグラフカードは、臨席していた遠山啓教授を感動させ、低学年の算数教育に欠かせない「タイル方式」

の改良に採用された。さくら学級は三四年一一月の公開でも高い評価をうけ、『十人の子等と倶に』や『算数と

国語の足跡』『おもいつくままの記』が全国的な感動をよんだ。

これと共に特筆されるのは「手をつなぐ親の会」の運動を起こした奈良易三郎、小野寺舜平の実践である。奈

良は精薄の子供のために自宅を開放し、小野寺とともに精薄児の教育を進めた。その頃教育の機会均等運動が勃

興していたので「手をつなぐ親の会」は全県的運動に発展し、三七年に東山学園

財団法人花

の創立をみるに至っ

輪ふくし会

た。

そのはじまり

二二年四月の選挙によって、毛馬内町では伊藤良三が町長となった。伊藤は民生の安定のた

め多くの施策を講じたが、その一つに社会教育の振興があった。

まず、戦後の文部大臣前田多門の思想に深く共鳴し、町民のための教育施設として毛馬内町民館設立の構想を

発表した。独立施設の新築は、当時の財政事情が許さなかったので、立山弟四郎の遺言により町に寄贈された一

万余巻の貴重な図書を収蔵する図書館の新築を提案し、賛成を得た。その新築の館は、百余名を収容するに足る

集会室と小会議室、事務室からなり、構想は全く社会教育専用の館であった。これが鹿角における公民館の嚆矢

である。