テキストを表示
各町村のさまざまな思惑がとび交うなかで、花輪町などの一部からは郡内を一つにして鹿角市とする動きがで、
そのほか郡を二分して、南部の花輪、尾去沢、宮川、曙、柴平の五カ町村による八幡平市、北部の小坂、毛馬内、
大湯、七滝、錦木の五カ町村による十和田市など規模拡大を希望する案なども論じられた。
尾去沢町は、人口八、〇〇〇人以上の要件を備え、地方交付税がない程財政が豊かで町民税も最低率という鉱
山景気の町であることから、まず独立を宣言した。これによって花輪、柴平、宮川、曙の各町村は四カ町村合併
の方針で協議を続けた。宮川村は地域の独自性と湯瀬温泉・八幡平の観光資源をもつことから、四カ町村合併を
時期尚早とする論が台頭し県計画による合併から脱退した。二九年の県議会一二月定例会に、花輪町・曙村・些
半村の一町二カ村を合併して花輪町とする議案が提出されたが、委員会審査においては宮川村を含める四カ町村
合併を進めるためなお慎重審査が必要である、として継続審査となった。この合併議案は、さらに三〇年の二月
臨時会の審議にかけられ、本会議において起立採決の結果賛成一三人・反対三〇人をもって否決された
ての後宮川・曙両村には、県計画とは別の進め方で、先ず不離不即の関係にある宮川村と曙村が合併し、その
あと花輪町等の四カ町村案に切替えてゆく、という考え方がつよまってきた。これまでの紛争の火種となって
た宮川村は、三一年三月にいたって曙村との合併を村議会で可決し、その申請書を県に送付した。
囘村の議会分野は、二カ村合併派一二名、五カ町村合併派一〇名であったため、右の合併議決後両派の対立は
深刻となり、同四月の臨時村議会において突如二カ村合併申請取下げの動議が提出された。二カ村派が総退場し
後に、議長催告により議会を再開、議長ほか九名の五カ町村派でこの動議を可決してしまった。この動議の可
决を、執行権の干渉であり村長不信任議決であるとみなした村長は、村議会解散命令書と村長辞職願を助役に預