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統制を撤廃、二七年から麦も間接統制に移し、さらに三〇年五月米の町村別割当供出制は予約買付制にと改めら
れた。米価の算定法も変化し、戦中の生産者補償方式のあと戦後しばらくパリティ方式
基準年度の価格に、物価
率を乗じて農産物価格を
上昇
卅)をとり、三五年からは生産費・所得補償方式に決まり、米価審議会の答申を受けて政府が決定するしくみ
算出
となった。のち四四年には自主流通米制度が発足し、四七年からは一部消費者米価の自由化がはかられ食管制度
はなし崩し状態となっていった。
これまでの強制的な供出割当をやめ、農民の自主的な予約売渡申込制にかえた三〇年の産米作柄は、まれにみ
る豊作であった。本郡の売渡状況は、事前売渡申込数量三万七、九九九・七石、集荷実績三万七、八六二・四石
の大量にのぼった。翌三一年も豊作で、本郡水稲収穫高は一〇万〇、九八三・七石、平均反収二石五斗三升であっ
『秋田魁
年鑑』
)。その後の収穫高は、第一七表に掲げる。
た(
当時の反収をみると、農林省から指示された県平均の基準反収は三三年三八二キロ
石五
斗五升
)、三四年四一
自昭和二七年
第〓表鹿角郡
自昭和二七年
至同二九年
〓和九丑年産米供出成績県農政課調(『秋田魁年鑑』による
至同二九年