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沢集落が指定され、対象農家八三戸、土壌改良を行い、農道、集荷所などを建設、ビートの多収化を図る等、総

寸業費一、二五〇万円で活動に入った。また同年、県の野菜生産集団地として八幡平村曙が新たに指定を受けた。

)のように今後の農業は、農村人口の減少傾向も加わり、共同化、協業化へ進む方向にあり、生産物の販売、

頁金の援助など農協の果すべき役割は一段と重みを増していた。三六年県農協合併促進委員会は、鹿角郡内一

農協を四農協(

花輪、十和田・

八幡平、小坂

に合併する案を立て、県に答申した。

しれをうけて本郡では、三六年一二月郡農協組合長会における、郡農協一本とする統合案についてしばしば検

討が重ねられていた。三七年八月、郡内五二人の関係者が花輪町茅茹荘に集まり、郡農協合併推進会を発足させ

た。会長に中西佐一

)、副会長に大畑留治郎

〓)、田口広治

、推進委員に四七名があげられた。同

(川

年一〇月の組合長会議には一部時期尚早論など出たものの、翌三八年一月合併作業計画にまで進み、二月末の〓

併決議、三月末日の登記完了を目標とする申し合わせが行われた。合併のための赤字処理にもっとも難関とみら

れる柴平農協の整理事務には、県中央会の職員が派遣されるなどの態勢もとられることになった。

かくて三八年二月中には、一一農協すべてが臨時総会を開催し、その解散と新たに鹿角郡農業協同組合として

合併する決議を行った。いよいよ四月一日、一郡一農協の鹿角郡農協が発足したが、郡単位の合併は東北地方で

初、全国でも二番目、合併の結果正組合員数四、四三〇人、資本金一億円、米の集荷量一五万俵となった。新役

尾去

曙)、副組合長中西佐一

、理事に中西佐一、小館繁次

)、高杉英次郎

渡部繁雄、浅石直衛

〓)、木村定治(

〓)、田口広治

)、目時佐太郎

)、青山善次郎

)、柳沢義栄

の)、湯瀬弥五郎

(北

)以上の前単協組合長のほか、阿部庄吉

〓)、稲垣正一郎(唱)、石井治助(〓

)、柳

)、