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果樹協会佐藤徳太郎らの名がみられる。さらに三一年、全県一本の果樹研究青年同志会の設立があり、副会長に

兎沢忠男、幹事の一人に村山正が就任した。三四年、新たな県果樹協会はこれら園芸協同組合と青年同志会の合

併によって創立され、副会長に兎沢俊男が挙げられている。

戦後まもない二六年秋、県は県内三カ所に果樹指導地を設けることを決め、県北地区は柴平村寺坂兎沢千代治

園に設置された。当時の指導の重点は草生栽培、無袋栽培、病虫害防除で、加えて現地では剪定、摘果、薬剤調

整、施肥についての指導が行われた。その発展として三二年五月、県北の指導拠点に県果樹試験場花輪分場が設

けられた。この指導地、分場の設置には鹿角郡果樹協会第四代会長兎沢千代治、五代会長村山守太郎の尽力がこ

とに大きいものがあった。

薬剤散布の方法として三一年頃から定置配管方式が、三四年からスピードスプレヤーの導入

第一号は寺

坂兎沢俊男

)が始

まり、その共同化の輪が一段と広がった。三六年果樹農業振興特別措置法が公布されてからは、県の助成による

共同防除、共同選果場、果実冷蔵庫の設置がつぎつぎとその数を増していった。

共同化の先駆となったのは、関印日之出りんご組合

組合長

中村定得

で二七年後継者の養成と共同出荷をめざして

結成、三二年に倉庫・共同選果場建設、三五年ダンボール輸送試験、三七年スピードスプレヤー導入共同防除実

施、四〇年県果樹協会共同防除立木品評会で農林大臣賞獲得。四一年組合管理による苗木養成、四二年ヘリコプ

ターによるりんごモニリヤ病の空中散布防除、構造改善事業樹園地一〇ヘクタール造成。四五年四組合合併し関

印十和田りんご生産組合を結成、四六年水田転換りんご園造成、落葉パイロット事業実施と、その実績はりんご

栽培変遷史そのものであった。