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尾去沢鉱山の退潮
邦後の経済変動のなかで、殆どの鉱山が時代の趨勢に抗しきれず次々に縮小から閉山へ
と追いこまれていた。長い間鉱山に依拠し恩恵をうけつづけてきた鹿角にとって、それ
は地域経済の根幹をゆるがす出来事であった。
尾去沢鉱山は、二五年過度経済力集中排除法により三菱鉱業株式会社を離れ、太平鉱業株式会社尾去沢鉱業所
と改称した。新たな設備も導入され、同年S・P電気探鉱を開始、鉛・亜鉛の浮遊選鉱が完成した。二六年〓
鑿岩
切羽にドリルジャンボを配置、ドリフタ
)一人操業に切替え、カンテラからキャップランプ使用にかわっ
機
た。
二七年、太平鉱業の社名は三菱金属鉱業株式会社と改められた。二八年、赤沢再盛竪坑、太平坑疏水坑道が完
成し、三一年に石切沢、万才両地区の採掘法をシュリンケージ法からサンドスライム充填法へ切替えた
三二年一二月に、硫化鉄精鉱流体輸送工事が竣工し、長い間運転されてきた花輪索道施設が廃止された。
三九年、特別探鉱として3L三ノ岳向立入開鑿工事に着手した。この年九月の粗銅生産量が創業以来の最高記
録月産一、六九〇トンを樹立している。しかし第一九表をみても四〇年度には到底採算ペースにのらないといわ
れる一・〇パーセント以下の低品位の平均値に落ちている。なお鉛鉱については、昭和二四年から三八年五月ま
で生産の全鉛量一万二、八一七トン、全亜鉛量九、〇一一トンであった。
当時国内の金属鉱業は岐路に立たされており、三九年の経済協力開発機構(〇ECD)加盟による貿易自由化
の促進から、各企業は国際競争力強化のためいわゆる企業合理化・体質改善にせまられていた。三菱金属鉱業は、
福島
その前年から同和鉱業・古河鉱業などとの共同出資による小名浜製錬所
県
の建設に入っており、輸入鉱・