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の間に同鉱山の赤字二億四、〇〇〇万円、一〇月のみで七四五万の赤字というきびしい状况にはいかんともし難

く、同年一一月の鉱山労働組合定期大会は人事面に幾多の条件を付しながらも新会社移行を認めることで終わっ

た。

四七年四月一日、尾去沢鉱業所は三菱金属鉱業株式会社より分離、資本金二億円をもって尾去沢鉱山株式会社

として独立した。『秋田魁年鑑』

昭和四

八年版

は、鉱石の品位低下、銅価格の下落で四三年以降六億八、〇〇〇万

円の赤字を累積し、二〇〇人の人員を整理して事業縮小をたどることになった、と指摘している。

小坂

古遠部鉱区

)の大規模な試錐探鉱は昭和三三年に開始された。三四年湯の沢舗

古遠部・小真木鉱山

休、三五年大黒沢鉱床が発見され、同年鉱区開発事務所の開設をみた。三七年曲り屋

鉱床を発見、翌年四月古遠部鉱区開発事務所を尾去沢鉱業所支所として統合した。最新式設備のもとに主要運搬

坑道、選鉱場などが完成し、試験操業を行った。

三九年より本格操業に入り、四〇年古遠部鉱山が鉱業所に昇格、尾去沢鉱業所より分離独立した。四三年新た

に東又沢鉱床

五〇万ト

ン予想

)を発見し、その開発のため直径三・五メートル円形全面コンクリート捲立ての竪坑一

八〇メートルの建設を進め、四五年に完成した。

竪坑の完成により四番坑から鉱床に向け立入の掘進を開始し、主力鉱床の役割を果すことになった。採鉱法は

全面下向充填採鉱法を主とし、一部上向充填採鉱を行った。選鉱は総合浮遊選鉱とし、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄の

各精鉱を得たのち、奥羽線碇ケ関駅ヘトラック輸送した。従業員の大部分は、尾去沢鉱山の社宅からバスで通勤

していた。