テキストを表示

このような懸命の探鉱により一喜一憂を続けたが、その後の鉱况は再生をみるまでに至らなかった。四三年七

月小真木索道はトラック輸送に切替えられ、八月小真木の社宅や会館等も廃止となった。

花輪鉱)

日本鉱業

株式会社

は、採鉱事務所や採鉱区が花輪町側に、鉱山事務所と選鉱場が岩手

県安代町にあった。黒鉱型鉱床の本山、三平、女平、外山四鉱床がおもで、二六年頃三

花輪・不老倉鉱山

平鉱床に逢着してから一段と開発が進み、硫化精鉱二六年に四万五、一九六トン、二七年に四万一、三一六トン

以上硫黄

5)を産し、全国第八位といわれた。

四〇%

二八年に処理能力月ごと五、〇〇〇トンの全泥優先浮遊選鉱場を完成し、三一年同じく月ごと八、〇〇〇トン

処理に設備を広げた。採掘された鉱石は坑内電車と竪坑捲揚機によって出鉱され、鉄索によって選鉱場に運ばれ

る。その製品の精鉱は田山駅から、銅精鉱は日立製錬所へ、硫化精鉱は社外各工場へと売渡された。三〇年現在

の一カ月生産鉱量は、銅精鉱四三〇トン(

品位一五

・一二%

その銅含有量六万五、〇〇〇キログラム、亜鉛精鉱四〇トン

品位五

品位四七

五)その亜鉛含有量二万キログラム、硫化精鉱四、六二〇トン

)その硫黄含有量二、一九〇トンで

○%

・四〇%

あった。

三七年明通鉱床発見、三九年の処理能力

月ごと一万二、〇〇〇トン、翌四〇年同じ

く月ごと一万二、三〇〇トンに拡大された

不老倉鉱山(

古河

鉱業

)は、戦後二九年に再

開し、粗鉱九七三トン・銅品位一・九パー

第21表

鉱量・品位の変遷

)

寸木克已調査「小真木

鉱山の歩み」による