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セントを産した。これよりさき、不老倉鉱山の西側に隣接する安久谷沢と板子沢の合流点周辺に立地した新不老

倉鉱山は、戦中から引続き中島産業株式会社の手によって出鉱されていた。新不老倉の鉱况は、二七、八両年〓

精鉱一九九トン、銅七・九六パーセント、金〇・一グラムトン、銀四二グラムトン程度であった。

ょた安久谷川の北側にある来満鉱山は、二七年鉱区設定し、三〇年から前田毅一が操業を開始、月約五〇トン

の銅鉱を産した。黄金坑、万年坑、来満坑を主に探鉱採鉱を行っていた。したがって二八年前後から狭い不老倉

沢(

安久

谷沢

〓)の中に不老倉・新不老倉・来満の三鉱山が並立する状况となった。それも長くは続かず、新不老倉、

釆満ともに三八年いったん同和鉱業の所有となり、三九年卯根倉鉱業株式会社に譲渡され、卯根倉来満鉱山と称

して稼行された。三九年九月から四二年九月末までの生産量四、九七一トン、平均品位一一パーセントを出した

が、四二年秋休山した。

介老倉鉱山の鉱况も不振で、『秋田魁年鑑』には三六年版から磯部鉱業不老倉鉱山の名で掲出され、さらに四

三年版以降は三井金属不老倉鉱山の名称にかわっている。出鉱はなく、もっぱら探鉱に終始する状况であった。

右の不老倉沢の出口大湯下折戸に三〇年鉛山鉱山大湯選鉱場が設置された。鉛山鉱山は十和田湖畔に近く、一

六年日本鉱業株式会社が大同殖産株式会社より買収の上鉛山鉱業株式会社を設立して、二七年から採鉱を始めた。

四二年以降銀山鉱区

日鉄

鉱業

と共同開発を行って有望な黒鉱鉱床を確認、四六年同鉱区を買収した。鉱山が国立

公園内に位置するため、比重選鉱場月間五〇〇トン処理を大湯に設け、トラック輸送を続けていた。

なお八幡平村杉沢国有林内真金山沢の左岸寺の沢にある真金山鉱山は、桜庭文蔵一

大館

)が昭和八年から一二

一号ない

年まで採掘したがその後中絶し、三〇年再び採掘を始めた。本〓のほか中切坑

一号、二

号、宝昭

)、大切坑(

し五号

)を