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祝得に時を移した。翌二八年六月、ようやく大町から谷地田町へかけ七メートルの道路が完成し、二九年大町の

舗装にこぎつけ、その後三〇年、三一年と町通りの拡幅と舗装は着々と進行した。すでに花輪町は都市計画につ

いて認可を得、三一年から花輪駅前中央道路新設工事に着手した。

この時期、花輪町は行財政再建の大きな課題をかかえていた。三一年度から三四年度までの四カ年計画で地方

財政再建促進特別措置法の適用を受けることとなり、財政再建債七五〇万円を借り入れ再建計画の実施に入って

いた。しかし柴平村との合併を機に、人件費、物件費の節約や徴税強化などの措置で法の適用を受けなくとも自

主的に財政を再建できる見通しができ、三二年三月法の適用の解除を自治庁長官から認可された。これは全国で

も初めてのケースといわれ、三三年度末には財政再建債の償還を終えることとなった。

花輪スキー場が二九年一二月東山に竣工して以来、三〇年二月県体スキー大会、三一年全県スキー大会、全日

本スキー選手権大会、三四年県体スキー大会、三六年全国高校スキー大会など、大小のスキー大会が毎年のよう

に開催され県内スキー場の中心的存在となってきた。

花輪町は、鹿角の郡都としての自負心から、時代にふさわしい市街形成・商店街育成をつよく志向し、その基

幹である県道舗装工事や都市計画街路並びに区画整理事業をはじめ、大堰頭首工完成に引続く大堰三面舗装工事、

瀬ノ沢灌漑排水工事、花小校舎・花一中体育館等の学校建築その他の諸事業に積極的な取組みを行った。町財政

規模ぎりぎりの支出は、はからずも三九年度末に赤字決算のやむなきに至り、四〇年一一月定例町議会において、

花輪町の財政再建準用団体指定申し出を議決するに至った。その財政再建の期間は県と自治省の指導により、四

○年度から四六年度までの七カ年とされ、町の財政運用は大きな制約をうける事態となった。