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町にとって再び重大な試練となった財政再建は、当局の懸命な努力により指定後の四年間すべて単年度黒字決
算としたほか、都市計画を除く特別会計は全部赤字を解消、四三年度決算見込みで再建計画を上まわる赤字解消
額、財政調整積立金額を計上することができた。この好転によって四四年四月から、自治省直轄の再建団体から
県の委任団体に移行された。さらに努力の結果、計画よりも早い四五年度決算において残る赤字の全額を解消す
ることに成功した。このことは目前に控えた鹿角市合併実現にとって、すこぶる大きな意義をもつものであった。
右の財政再建に苦悩しながらも、花輪町の新たな市街形成・生活環境整備はたゆみなく続けられた。都市計画
路線の下夕町高井田線の新設工事の進むなかで、三九年し尿処理場、組合病院精神病棟増築、電報電話局、警欲
のち
斤舎、柴平発電所、四〇年県体スキー大会、花輪越え林道
)、四一年県道桝形の改良と舗装、大湯花輪線
県道
の舗装、全国高校スキー大会、四二年組合総合病院本館増改築竣工、四四年上水道事業着手
四六年浄
水場完成
)第九二
回種苗交換会、四五年高校跡地にスポーツセンター設置、四六年同上町民プール建設などが進められた。なお下
夕町高井田線バイパスは四四年完工、四五年国道二八二号線に編入された。
この間に大きく関心を集めたのは、市日開設場所変更の問題であった。もともと大町・六日町間に設けられて
きた伝統的市日であったが、交通安全の面から土木事務所、警察署により中央通りへの移転を求められていた。
商工会、露天商組合のつよい反対があったものの、四〇年中央通りへの移転開設となった。四三年七月中央通り
での開設認可期限切れとともに問題が再燃し、曲折ののち新たに寺小路の通路を改修し開設ときまった。
十和田町は、新町発足まもない三三年に役場新庁舎建設工事を起し、翌三四年四月から新庁舎での執務を開始
した。三五年に常陸宮
当時
義宮
)の特別史跡大湯環状列石ご視察があり、三六年天皇・皇后両陛下の秋田国体から