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広域行政の機運

鹿角は旧南部領として、また、古来独立の生活圏・経済圏を形づくってきたことから、

鹿角はひとつ」との心情に、きわめてつよいものがあった。昭和三〇年の町村合併問題

は、結果的に五カ町村の成立におわったが、有識者の間には鹿角市建設の願望が底流として絶えずただよってい

た。例えば二八年一〇月一二日付改新乃鹿角紙に「鹿角市の建設など/二十年前からの問題」という見出しで、

曙村佐々木辰太郎・渡部全次雄の談話が掲載されている。

三六年八月、第一回郡町村議員大会が大湯温泉会館に開かれ、参集した一〇〇余人の議員によって、鹿角市実

現を郡町村会に要望・東北縦貫高速自動車道の早期実現・観光道路舗装の早期完成・郡内の農協統合など、すべ

て町村の枠をこえる一六案件が次々に提案され採択された。このような鹿角の地域発展策を広域行政の見地から

觧決すべきものとした姿勢に、当時の議員の高い見識が感じられる。