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郡一市実現の要望が高まるなかで、行政をとりまく客観情勢は刻々と広域化へ向いつつあった。三五年鹿角
郡五カ町村精神病院組合が設立され、翌年七月組合病院に病棟を付設し診療を開始した。三七年七月郡内五カ町
村共同のし尿処理場建設計画がまとまり、同じ八月、郡農協合併推進委員会が発足した。三八年四月、全国で一
番目の郡単位合併で鹿角郡農協が実現し、ついで五カ町村衛生処理組合がし尿処理場に着工、三九年一二月から
操業を始めた。この年郡内各町村農業構造改善事業の一本化や二つの畜産農業協同組合統合の動きが活発となり、
森林組合統合
昭和四一
年統合
)も話題になりつつあった。
鹿角市合併問題について、行政サイドから最初に口火をきったのは八幡平村長関孝三であった。「鹿角市誕生
鹿角
の歩み」(
)によると、四〇年三月八幡平村定例村議会において関村長は議員質問に答える形で「鹿角が力
市
強く生きてゆくためには郡一体の合併以外にない」と言明した。この時期、町村首脳陣の間ではしだいに共通意
識として醸成され、例えば四〇年一一月花輪公会堂で開かれた郡婦人会総会の来賓祝辞のなかで、尾去沢町長児
玉政吉、花輪町助役石川小太郎がそれぞれ鹿角一市待望論を述べている。
四一年六月、鹿角郡町村会から郡議長会に対し、合併問題について協議されたいとの要請がだされ、同七月の
総務財政委員研修会において、十和田町議員、八幡平村議員から一郡一市の提案があった。すでに東北高速自動
車道開通が予見され、尾去沢鉱山縮小等による深刻な過疎化の進行が、いっそうの危機感をかきたてていたので
ある。
広域行政調査会
四二年一月、郡町村会では各町村総務課長会議を開き、具体的な資料収集と問題検討に入っ
た。その結果、翌二月鹿角地方総合庁舎で、鹿角郡広域行政調査会設立総会、つづいて鹿