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新市の誕生

橋副知事の説得の結果、庁舎位置については一応棚上げのまま、翌二七日四町村いっせいに臨時議会を開き合併

協議会の結成を決議した。

仁併協議会では総務、財政企画、行政の三小委員会を設置して、それぞれの付託事項の審議に

入った。四七年一月七日第三回協議会において、新市の名称を鹿角市、合併年月日を四月一日

とし、地方税の取扱いは均一課税、国保の賦課基準は最低率の花輪町とするなどを決定した。庁舎位置の問題は

その後も意見の対立が解けず難航したが、二月一八日第四回協議会において、新庁舎の位置は「南北は花輪町鏡

田と根市川間、東西は国道二八二号線と米代川間の区域」、仮庁舎は花輪スポーツセンターとし、その分室を一

和田町役場に置くことを決定したほか、付託事項のすべてにわたり審議を終了した。

一月一九日、四町村は臨時議会を開いて合併を議決し、財産処分、議員任期の特例についても議決の上、同一

日県知事への合併認可を申請した。三月二日の自治省承認を経て、同一三日県議会は鹿角市設置を議決した。

同二八日、合併協議会を解散、四町村長の協議により鹿角市長職務執行者は児玉政吉に決定した。

かくして、自治省の四月一日付鹿角市設置の告示により、念願の鹿角市が県内九番めの市として誕生すること

となった。合併までの人口は第一表の通りである。なお面積は七〇七・一二平方キロメートルで、全県一の広さ

を誇ることとなった。

注1鹿角時報昭和三六年八月一七日付

注2同同四一年一月一日付

注3「鹿角市誕生の歩み」鹿角市

注4『鹿角市議会二十年のあゆみ』鹿角市議会

注5北鹿新聞昭和四二年二月二八日、同年三月一日付

注6注4に同じ