テキストを表示
とになっている。
し尿処理事業
叛後、農家の金肥使用が普及するにつれ、し尿の需要は年々減少し、非農家ではその処理に
困りぬいていた。町村でも環境衛生上からの対策を考究していたが、例えば花輪町では、町
内農家部落一〇カ所に三〇石入りのし尿処理槽を設け、委託をうけた農協が一〇石入りタンクと吸上げ装置のつ
いたオート三輪車で、各戸から運搬処理する住民サービスを行うことにしていた
広報はなわ、三
二・八・二三付、
)。
その後、花輪、毛馬内、小坂の業者による鹿角協業汲取組合がし尿收集にあたることとなった。しかし、各地
区ごとの適宜処理であったため、ただの運搬処理にしか過ぎなかった。
四〇年一月、消化方式による一日五〇キロリットル処理能力のある新川原のし尿処理場が、完全操業にはいっ
た。これにともない、し尿の收集処理には、鹿角衛生協業組合があたることとなった
『鹿角市の統計』昭和〓年版
(
『鹿角市の統計』昭和〓年〓
『鹿角市統計書』平成3年版
より作成)
"鹿角市統計書』平成3年版
より作成)
し尿処理量は第九表のとおり、
年々増加している。このため、従
来の処理施設では処理しきれなく
なるおそれもあり、また施設の老
朽化もあって、鹿倉崎に移転し、
五三年四月、消化三次方式、一日
一〇〇キロリットル処理能力のあ
るし尿処理場が操業を開始した。