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を通り鉄道のガード下を通る新道の開鑿が行われることになった。その道路の上部を国鉄花輪線が通る一の渡処
道橋が、三八年三月に完成した。
三五年に陸中花輪駅から東方の県道盛岡・毛馬内線沿いの商店街(大町坂の上)を直線で結ぶ通称「中央通り
が、完成した。さらに三八年から花輪町で都市計画による「高井田通り」の道路工事が始まり、四年の歳月を要
して四二年に開通した。これらにより新しい市街地が、しだいに形成されて行った。
八幡平が国立公園に編入されて、十和田八幡平国立公園となった昭和三一年頃トロコから先は、ほとんど徒歩
による登山であった。三五年三月に秋田県議会土木委員会より、八幡平有料道路の秋田国体までの完成計画案が
公表され、八月二七日に起工式が行われた。しかし、工事が遅れようやく三七年六月一日にトロコから蒸ノ湯
八キロメートルの秋田県初の有料道路が完成して、この道路の名称を八幡平樹海ラインとした。
その後も観光道路として玉川温泉から田沢湖まで、蒸ノ湯から八幡平頂上までの工事が行われた。共に難工車
県道十和田
であったが、特に八幡平頂上までは自衛隊の協力を得て進められた。四三年に田沢湖まで
)と頂上ま
・角館線
での道路が開通した。頂上まで車道が開通したことにより岩手県と車で通行出来るようになった。さらに四五年
八月にはトロコから頂上までの有料道路「八幡平アスピーテライン」が完成した。これにより観光客の交通の便
第一
が更によくなり、平成四年には通行料金が廃止されることとなった。
四表
三〇年代末から急激に日本国内の自動車の保有台数が増え、交通事故も多くなり「交通戦争」と呼ばれる状熊
となった。それに伴い交通安全のための交通信号や標識が、整備増設されて行った。鹿角で最も早く交通信号機
が設置されたのは、四〇年に小坂町の小坂鉱山時計台前に出来たものである。この年秋田県内には、まだ二〇箇