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鉄道輸送の変遷
邦後復興の原動力となった鉄道輸送は、昭和三〇年代まで旅客・貨物共に主流を占めてい
。しかし、自動車の普及により四〇年代から減少に転じていった。乗降客の著しい減少
は、各駅共に見られるが、特に八幡平駅に顕著にあらわれている。各駅の乗客数を示した第一六表によっても公
かるように昭和四三年から平成三年までの二三年間を比較してみると四分の一弱になっており、他の駅が二分の
一弱程度なのと違いをみせている。この原因は、自家用車の普及による通勤客の減少と観光客が観光バスや
自家用車を利用するようになったからである。国立公園の入口として小豆澤駅から八幡平駅に名称を改めた
三二年
(
)三〇年代は、観光シーズンには利用者も多かったが、乗り継ぎのバスの関係で不便が指摘されていた。
四月一日
一方の十和田湖の玄関口に当たる毛馬内駅は、三二年六月一日に十和田南駅に名称を変更している。三五年一二
月一日には無人駅の陸中大里駅が、地元八幡平村の陳情により開業した。
三四年三月一日から花輪線に始めてディーゼルカーが運行され、大館・好摩間の所要時間が、五〇分短縮され
た。三七年二月二〇日にはディーゼル準急「よねしろ」が、秋田・盛岡間の運行を開始した。四一年一〇月一日
には急行「八幡平」が、秋田・盛岡間の運転を開始した。四六年九月には花輪線から蒸気機関車が廃止されて、
すべてディーゼルカーの運行となる。同年一〇月一日に柴平駅、三七年二月一日に土深井駅、五九年二月一日に
末広駅が、それぞれ無人駅となる。五七年一一月一五日より無人駅となった八幡平駅は、その後駅舎を改造して
喫茶店「たびだち」を開業している。
貨物列車においても大量輸送手段として経済発展に大きく貢献して来たが、道路網の整備と貨物用自動車の性