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二、郵便の整備・拡充

混乱からの脱出

叛時中の苦難と、終戦直後の混乱から抜け出そうと国民全体が精一杯努力を重ね復興に立

り上がった。郵便機関も例外ではなく、大都市を中心に建物自体が戦災をうけるなど、厳

しい状況からの再出発になった。そうしたなか、昭和二三年に新しい郵便法と郵便規則が施行された。これが戦

後の郵便体系の基本となった。

てして二四年六月一日、逓信省の業務は郵政事業と電気通信事業とに分割され、新たに郵政省と電気通信省と

が発足した。やがて二七年の平和条約発効とともに占領軍の検閲・監督が終わり、日本の郵便もまたここに主権

を回復することができた。

戦後も鹿角の郵便輸送方法は、国鉄花輪線を利用しての運送であったが、名称から見ていくと盛岡大館間の場

合、盛岡には仙台鉄道郵便局の盛岡分室が置かれ、一方大館には大館分室が設置されていた。この間の連絡は〓

大線と呼び二四年七月に開設された。盛岡発あるいは大館発の列車に郵便車が連結されて乗務員が乗り込み、各

駅に停車するほんの数分が受渡の時間となる。各郵便局から駅頭に出ている運送員との間で、乗務員からは各地

から到着の郵便物が運送員に、運送員からは自局区内で取集められて他局への差立の郵便物を郵袋に納入して乗

務員に、という方式がとられた。

大小

なお鉄道の沿線にない大湯局へは毛馬内局がその中継局となった。また小坂局は大館小坂間

)が主便で

便

毛小

のったが、二七年五月から郵便線路の変更があり、二号便は毛馬内小坂間

しに開設され、路線を走る秋北

便