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電話の普及・拡大は時代の趣勢ではあったが、東北地方についてはその経済事情等もあり「農村集団自動電話

制度化

三九年

〓年)が設置された。農集とよばれたこの電話は半径五キロメートル以内の地域・二〇〇人以上の申込者数な

『秋田電気通

どの条件があった

)が、第二種集団電話一

地域集

団電話

と改正されて本実施となり、鹿角では四一年一一

信のあゆみ」

月に八幡平地集、四四年三月八幡平永田地集、一〇月十和田地集、一一月大湯・末広地集、一二月毛馬内地集、

四五年一〇月荒川・川上地集、四六年二月山根地集と開通した。

農集電話には通常同一内線に五-一〇の加入者グループ

が編成されるため、市外通話も可能ではあった

が回線の空く確率が悪く、用のある時に使えないなどで評判の悪い電話であった。

電話の自動ダイヤル化は市外集中化・半自動即時方式を経て次第に拡大していくが、ダイヤル自動化は電話の

交換業務廃止を意味する。このため旧制改式で働く職員に過員が発生しそれぞれの郵便局から退職、電電公社

近隣他局へと別れていった。

八幡平

毛馬内

鹿角の電話交換廃止状況は三一年花輪、三四年曙

)、三五年末広)

)、三九年柴平、四五年毛馬内、

へ集中

へ集中

四六年大湯、四八年八幡平、四九年小坂と進み、いわゆる電通合理化が完成した。『秋田電気通信のあゆみ』に

よると、第六次五カ年計画の初年度五三年に県内最後まで残っていた西木地区、強首、大沢郷地区の電話の自動

東京

化が実施されて秋田県内一〇〇パーセントのダイヤル化が実現、全国は翌年三月、利島

)、大東島(

)の

自動化を最後に全国即時通話網が完成となった。

新しい情報通信

平成に入ってからの電気通信部門を担うNTTについて、『秋田電気通信のあゆみ』で「N

TTは、電報・電話といったオールドメディアのほか、キャプテンサービス、ファクシミ