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リ通信網などのニューメディアによる各種の情報通信サービスの提供、音声通信から文字、図形通信へ、一本の
回線を電話、ファックス、キャプテンなど複数の用途に使用できる方式」などをあげ、今後の情報通信を展望し
ている。
また鹿角市は六一年九月にテレトピア構想の指定都市となった。これを受けて基本計画を策定、(一)総合
コミュニテ
福祉・
信行政情報システム
(二)健康管理情報システム
)、(三)観光情報システム
観光・レクリ
エーション型
イタウン型
医療型
の三システムでその実施に入っている。
ラジオ・テレビの発達
テレビ放送が始まるまでの家庭の情報収集・娯楽にラジオ放送があった。雑音が多
(聴取に耳そばたてていたが、三五年一〇月一五日、当時の花輪町小深田地内にN
HK花輪ラジオ中継放送所が竣工した。高さ約七〇メートルの円管柱アンテナで、出力一〇〇ワットと公表され
た。一一月一日から開局してそれまで岩手放送しか聴取できないでいた鹿角郡全部が秋田からの放送が聴ける上
『鹿角の
うになった(
)。三九年二月、同局から第二放送の電波も聴けるようになった。FM放送は三九年六月に
あゆみ」』
秋田市で放送が開始されているが、鹿角の場合水晶山のテレビ放送局内にFM放送施設が設置されたのは四二年
六月のことであった。
一八年二月一日NHK東京テレビ局が本放送を開始したのに続き、八月二八日には日本テレビ放送網が初の民
間テレビとして放送を開始した。『鹿角のあゆみ』によるとその「翌年三月二九日花輪ばやしと町おどりが東京
c日本テレビに出演して期待が大きくなった」とあり、「三二年五月二〇日花輪ではじめてテレビ受像試験に成
刀、その年のうちに一般家庭に普及しだした」が、いわゆる雨降り映像で我慢しなければならなかった。NHk