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秋田でテレビ放送が開始されたのは三四年一二月二五日のことになる。

二九年三月、尾去沢の水晶山山頂にテレビ塔が完成、やっと鮮明な映像が得られるようになった。この時の丁

六九・六

事費は二、〇〇九万円で、鹿角郡全体としての地元負担は一、三九九万円

)であった。四六年UHF

バーセント

電波の放送が始まり、平成四年一〇月秋田で三番目の民間テレビが放送を開始した。

国際通信は、通信衛星を使用する時代になり、この開始により国際間のテレビ中継が可能となったほか、新型

海底ケーブルに劣らぬ品質の、しかも容量の大きい通信回線が設定できるようになった。そして今や、国際テレ

ビ中継も日常茶飯事になり外国の出来事を家庭にいながらにして見ることができるようになった。

平成四年九月一六日の日本時間午後八時半過ぎ、宇宙を回り続けていたアメリカのスペースシャトル・エンゴ

ハーと北海道余市の小学校・東京が回線で結ばれ、宇宙実験を続けていた日本人宇宙飛行士毛利衛との間で「宇

宙授業」が行なわれたなまの映像を、私達も鹿角にあってそれぞれの家庭のテレビで楽しんだのである