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長ほか来賓六〇余名が出席した。閉山時の従業員数三〇四名であった。尾去沢鉱山は小真木鉱山とともに五月一

日付をもって、その永年の歴史の幕を閉じたのである。

閉山の後は、休止鉱山維持管理業務として管理部門、医院運営部門、購買会営業部門、タイマー工場部門、雷

力部門に分かれながら、計一二九名によって業務が行われた。五四年七月、尾去沢鉱山閉山を契機に坑廃水処理

費用負担問題を検討する坑廃水問題懇談会が通産省側に設けられ、その一行九名が現地視察に来山した。その成

果は、五六年七月休廃止鉱山鉱害防止工事費

坑廃水

処理費

補助金制度の実現となってあらわれている。なおタイマー

工場は五四年七月末日に閉鎖した。

やがて五七年四月株式会社尾去沢鉱山観光による、旧坑道利用のマインランド尾去沢がオープンした。

古遠部鉱山(

出鉱量は一七万二、四〇九トンで、総合優先浮遊選鉱によって銅・鉛・亜鉛・硫化鉄の各精鉱が生産され、シ

クナーとフィルターで脱水ののち奥羽本線碇ケ関駅へ運ばれていた。しかし古遠部もまた容赦のない時代の波に

あらわれ、六〇年一〇月閉山合理化問題の提案となり、同年一二月退職条件交渉に入った。六一年二月二八日労

働組合解散式と菱和会古遠部の結成総会がもたれ、翌三月一日に二四年の歴史の幕をとじ、閉山となった。

鹿角市に採鉱区をもつ花輪鉱山は、四八年六月親会社日本鉱業より分離し独立採算制の花輪鉱山株式会社に移

行した。五三年から選鉱処理能力月ごと一万トンを九、〇〇〇トンに縮小するなど、次々と合理化を進めた末六

一年九月、ついに閉山のやむなきに至った。

閉山つづく

小坂

)は、新鉱体の発見で順調な稼行をつづけていたが、三菱本社の一山一社分

砒方針により五一年七月資本金一億円の古遠部鉱山株式会社として独立した。五〇年度の粗鉱