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定時制課程は本校と大湯校舎に置かれ、五七年に大湯校舎へ統合されたが、同年一一月に募集が停止され、六
○年二月に定時制課程閉校式が行われた。
阿部寿
学校法人花輪学園花輪服装専門学校
)は、昭和三〇年和洋裁縫研究所として、
校長
花輪町舟湯に生徒数約二〇名で開設されたのが始まりである。三四年に大館文化服装学
院花輪分院(生徒数約七〇名)となったが、三八年新たに花輪女子学院として出発し、校舎を八正寺に移し生徒
数一五〇名以上を数えるにいたった。
四九年に現在地の花輪字柳田に校舎を新築し、翌五〇年学校法人として認可された。五一年に校名を学校法人
花輪学園花輪服装専門学校と改称した。生徒たちが自作作品を身にまとい、ファッションショーで公開するなど
幅広い活動をしている。
鹿角服装高等女学院
学校法人鹿角服装高等女学院
佐藤秀
雄院長
は、昭和二四年五月地元花輪や郡内町村およ
び二戸郡田山方面の要望をうけ秋田服装学院分校として開設したのが始まりである。
一六年秋田服装学院が学校法人秋田服装専門学校と改称されたのを機会に同年六月同分校として認可された。
二九年に独立して鹿角服装高等女学院となった。四二年、生徒定員を本科一〇〇名、高等科二〇名、研究科四
○名、夜学裁断科三〇名と定め、五三年まで続いたが岩手県、青森県から入学した生徒もいたという。