テキストを表示
毛馬内俳句会
露山鎌田倉蔵は毛馬内の生まれ、花輪から出た「俳味」には昭和一〇年から名がみえる。ー
はらく十和田に住んだが、昭和二五年に帰郷、周辺に俳句人口をふやし、二八年に、毛馬内
俳句会の設立となった。会長鎌田露山、副会長渡辺冬園、理事望月松籟、木村湖山、沢口孤村、浅利水香、常任
理事高橋道人、会計安保伊都子、安部鳳山、勝田水玉、木村湖鳥、大坪良逸など総勢四五名。露山の句碑は三四
年、錦木塚に建てられた。「旅人にはた織る虫や姫の塚露山」。句集『みづうみ』が翌三五年刊行、露山は四
一年、七五歳で没した。五四年になって、更に仁叟寺に句碑が建った。「山国の月におどりのいつまでも露山」
「十和田」誌は四一年二月号に「露山翁追悼」の特別記事を組み、弔句「露山翁悼むかきつの返り花手古奈」
の他に三良、胡六、華車、鈴蘭女、冬園、安屯、快石ほか。弔文は胡六の「弔辞」の他に村上三良、畠山若水、
奏かつ子が献じている。
『十句集』は四一年一一月、毛馬内俳句会が露山の没した翌月に刊行した。
〓の葉に風駆けのぼりかけくだり露山ひた急ぐ早春の道海に沿ふ冬
唐松の落葉をふめば四十雀水香花の散る如く終りぬ盆踊湖・
蓮咲くや水烟らして通り雨松籟時鳥女疲れてもの言はず道
水香は浅利成和
別号
湖麓
(〓)、ほかに鳳山、快石、みのる、湖賓、水玉、良逸、湖鳥、雅史、孤村、白道、広治、巌
昭和四
波。また田口広治には句集『花野』
四)があり「梅雨冷の声までかれて厨妻広治」、四五年没。
○年
昭和三五年発足した毛馬内「さわらび俳句会」は、やがて三九年「みづうみ俳句会」の結
みづうみ俳句会
成へ発展し、以来、会誌「みづうみ」を刊行する。