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『羚羊の眼』は高橋道人句集、五〇年一二月刊。「野火」「ほむら」同人。序を篠田悌二郎。跋を安藤五百枝が

記している。

雪柳母に余生の庇部屋道人雉子啼くや岬にのこる昨夜の雨道人

『雪明』は尾去沢の若い人たちが編んだ句集で、鹿角時報

昭三五・一

二・一七付

)に艸于が批評を寄せて「単刀直入、人の

肺腑を突かんとする勇気は誠に敬服に耐えない」と述べている。句数一七六、

当晴の底葬列の点と線泡生颱風圏車窓に毀つゆで卵亮美

オルガンの狂った音階教師昼寝敏郎山百合は小さき蟻を吐き続け郁

郁女

兎沢亮美は花輪。「馬醉木」から「青立」そして「草花」に参加。四八年、句集『北国』刊行。豊中市住。

枯葦の寂光水に沿う帰心亮美豆殻を焚き北国の喪を照らす古

亮美

政田岑

その後、俳句を離れて、塚本邦雄の下で歌作、『百囀集』

夜鶯の会作品集

成、六一年刊行

)に俳句参加、季刊誌「玲瓏」

生発行

に短歌参加している。『百囀集』中「風邪菩薩兎沢亮美」の作品解題に塚本邦雄は「句集北国は三〇代後期の

兎沢亮美の不敵な行動力に満ちていた。十年の歳月ののち、新しい俳諧への試行は一句一句の姿を勁く、かつ白

在にし、種々の可能性を孕み始めた」と述べている。

蛇の衣身のさざなみを繰返す亮美墨滴をたどりて行けば冬董

亮美

「俳味」は、合同句集『句聚』を出したのち、一七年になって中断、戦後二六年花輪図書館内艸于で再刊した。

二九年毛馬内へ移して初め佐々木方、やがて渡辺冬園方から発行し、のち一時花輪へもどり、三五年一二月には

小坂町古館内藤むつみ方を発行所としている。