テキストを表示

有力な俳人が参加して活躍、鹿角の句会への参加は数知れない程の手古奈だったが、平成五年一月に没し「十和

田」誌はこの年五月号をもって終刊となった。

隆盛の句会

花輪俳談会」の成立は昭和七年のこと、以後の経緯からみて判然とした組織など必要とせず

ただ有力な俳人を中心に集まるだけで良かった。しかし四四年「花輪芸術文化協会」設立に際

して団体加入であることから、会としての体裁を整えたものと思われる。『花輪芸文年鑑』によると、会長阿部

胡六、幹事は山谷少翠、佐藤六色、忍志知郎、田畑秀穂、渡部こよ、土館イサであった。

毛馬内の俳句会は、露山、冬園、湖山らいずれも「十和田」誌の伝統俳句に属していた。「みづうみ俳句会」

は、会長田原東太のもとたゆみなく会を重ね、「みづうみ」誌を発行、二〇〇号記念の合同句集『みづうみ』

五六

和六)さらに発足三五周年を記念して『かいつぶり』を発行した。伝統俳句に拠る花輪俳談会などの動きに必ず

しも同調せず高橋道人、鎌田亮等を中心に近代俳句の活動を展開して来た。

以上述べてきた多くの句会が、市としてまとまって行事を開催すべきであるとの提案のもとに、安西香雪を会

長として平成元年「鹿角市俳句連合会」が結成された。例年、四月の総会を兼ねた大会、夏の俳句バス、歳末チャ

リティ俳句会などを開催している。

小田茂は「道標」

横浜、主宰

古沢太穂

宰)同人。六〇年頃、俳句と写真と着物の絵付を融合させた珍らしい展示会の試み

で注目された。「道標」六三年より抄すると、

漁夫と佇つ湖の木の芽と永い冬茂

寒星となる重吉か樹の梢に茂

花輪俳談会は平成四年『合同句集』を出した。巻首に青蛾の「烏兎〓〓」。箱崎一好の「発刊に際して」を掲