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げ、一人一〇句、三二名。阿部恭子、阿部キヌ、阿部青峰
郎
直次
の)、石木田美代、伊藤はる子、大里清子、忍志知
百合
郎、勝山三郎、北郷もと女(始)、木村ゆり子
〓)、児玉節子、駒ケ嶺しぐれ
秀
枝
絹
子
)、佐藤六色
)、佐藤節
雄
関昌
吉之
女(節)、諏訪けい、関村チヅ子、関玲子、瀬木昌子
〓)、高瀬一草
)、高瀬タツ、田村恵子、田中秀子、
子
子
助
みゆ
土館イサ、奈良郭子、根本美幸一
政
〓)、箱崎一好(好)、三森吉次、村上盛公
万
き
)、村木静雨(
)、山本しろ
身
郎
し(皎)、渡部こよ女(
一)らの出句である。
他に随想をイサ、昌子、しぐれが記している。同会の会長は一好である。
2、短歌
短歌会復活
ていた。
花輪短歌会の戦後の復活は、二五年二月歌会からであった。二四年から二七年まで花輪に住ん
だ木村富子の積極的な働きかけによる。木村は山形県、結城哀草果主宰の歌誌「山塊」に属し
一団の雀群れ居て冬圍ひのわらのもみ穂をついばむが見ゆ阿部トシ子
行く人の動かざりけり黒々と眼をはばむ雪降る夕阿部道子
製材所は第三日曜の停電日ひっそり生木の匂ひただよふ佐藤秀雄
抱きあげしミチ子のあくびおもむろにふたつ並んで小さき歯見ゆ板橋昭男
これよりも北にゆかばと朝ごとの話題となりて山形こひし木村富子
この年初夏、結城哀草果を迎えた花輪短歌会は八幡平へ吟行を行い、その収穫をもとに翌二六年『鹿角観光歌