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集』を刊行した。木村富子編、巻頭に斎藤茂吉の序歌「歳末に今年もなりぬ十和田湖のもみぢ紅きをつひに見ず
して茂吉」を掲げている。結城哀草果の校閲を経て、二三名の二二〇首
わが持てるアセチレン燈は山の湯の少女裸形を明るく照らす佐藤正一
みちのくの八幡平にしてあかつきのひかりを栂の木ぬれに仰ぐ斎藤保
山ふかき噴湯を樋にみちびきて湯花取る湯は溢れつつゆく奈良東一郎
わがまへに大きみづうみよこたはり戸来の山の雲はうごかず大和田日足
真珠なす水とこしへに十和田湖は二国かけてたたへけるかも結城哀草果
朝霧と湯気とまじりてまなかひが乳色のまま山の夜は明く木村富子
小さなる蝋の灯のごと芽の立ちし林檎の園に風のこもれる赤城文治
ほかに高杉露星、関昌子、安倍操、戸沢孝一、望月松太郎、玉尾妙子、阿部俊子、工藤栄子、板橋昭男、宮城
一杉、中島美代子、吉沢邦雄、浅利了子、安保芳雄、遠藤桂風、鎌倉山星人である
大和田日足は村木清一郎、大館鳳鳴高校教諭。歌誌を多く発行して県北の短歌会の指導的存在であった。三一
年に第一回県文化功労賞受賞、掲出の「わがまへに」の歌は大館市桂城公園に歌碑として建っている。
大和田日足の主宰歌誌「白湯」に、
今宵ふるつめたき雪よあがなひしピーナッツかみ広き街ゆく奈良東一郎
米軍の兵舎建ちゆくこのあたり沿線の丘の松伐られをり斎藤〓
斎藤保
斎藤は鳳鳴高校在学中から際立っていた。早稲田大学へ進み、卒業後、読売新聞記者となり、各支局を転々と
した。右の歌は一九歳の作、すでに大人だった斎藤は作家の野坂昭如とは大学時代から終生の友人だった。平成