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攻病みの吾に変らぬこころもて夫は来りぬ日曜の昼恭ヱ
恭子
病をば友とせよとは苦しみのまことを知らぬことばなるべし円
同
第四歌集『延胡索』、五六年の刊行。「序にかえて」を奈良東一郎、後記は阿部寿子。
しばらくは泣きやまぬ児をそのまゝに泣かして慣るるを待つと保母言ふ阿部寿子
たらちねの乳の如きがふき出でて吾が手をぬらす桔梗を切れば大里葉子
君の村にかたかご群生すると言ふ春には妻と訪ね行きたし黒沢晟去
静かなる田母沢の朝明け霧ふかし鄭文公碑をわれは臨書す斎藤常夫
妻君の弱くなりたるさびしさをつぶやきまして茶をつぎ給ふ関昌ヱ
このほか石木田敬子、大里きえ、故小笠原草穂、切田百合子、佐藤厚子、佐藤幸子、佐藤正二、佐藤秀雄、高
田禮子、田村不二、千葉のり、兎沢八重子、中島美代子、奈良東一郎、根市きよ、安倍操、市川悠吉、児玉節子、
二
田中典子、松江末子、村木隆夫、柳沢知子。小笠原草穂
は五四年三月に死去した。『遙草穂歌集』は同
蔵
年九月刊行、発行は夫人の小笠原妙。
脈をよむ目の深ければ白帽の悲母観音と思ふ朝あり芭
草穂
正二と秀雄
発作なき朝は鳩鳴く林まで歩きゆきたし空の澄みたる円
同
花輪短歌会の精神的支柱であった佐藤正二は、五六年一〇月死去した。のち五九年二月『歌
年譜に
拜花の高野に』が刊行された。「あとがき
)」を奈良東一郎が記している。
代えて
軒近く啼くふくろふを妻と聞きいづれが先に眠りしならむ円
正二
二百の菊の蕾がまなうらにありて今宵の霜をおそるる円