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山の間にまたたびの実の熟るるころ退院したし山に行きたし2)
佐々木良
アララギ
「秋田アララギ」
b)は五七年四月号を「佐藤正二追悼号」とした。扇畑利枝
の文に「お逢い
一編集
群山同人
しました佐藤正二氏は秀れた短歌作品から受けます印象と全く同じで純朴、重厚、そして誠実さがあふれ、言葉
数の少い高僧にも通う風貌と強い信念をもっておられました。(略)夜の訪問者はアララギ、群山会員の奈良、
阿部、大里、千葉さんたち七、八人で自家製のマルメロ酒をはじめ、さまざまな色彩と香りの果実酒の歓待にあ
い夜の更けるのを忘れてしまいました。佐藤夫妻を中心にかもし出される雰囲気は長い間の交流と信頼に裏打ち
されたものでした」と、切々の情が述べられている。
佐藤正
佐藤幸子(
は、夫の歌集『花の高野に』刊行を目前に五九年三月没した。歌集『猿ケ平のうた』は六三
二夫人
年二月、佐藤正二先生歌碑建立委員会と花輪短歌会が刊行、後記を奈良東一郎が記した。
亡きは亡しと己れに言ひて一人食む朝飯の上に涙落しをり幸子
幸子
北空のかがやく雲に心よせ時雨の中を帰り来りぬ円
同
安倍操『松の花操歌集』は、平成元年六月の刊行。編集は花輪短歌会、発行安倍洋直、後記は阿部寿子。
あらがひの心は捨てむ紅萩はたゞつつましくなびかふものを2)
花瓶も狭きばかりに苟薬は咲きほこり居り今日の命を〓
初期の花輪短歌会以来の先達である佐藤秀雄は四冊の歌集を刊行している。戦前、由利貞三の「短歌公論」に
拠った佐藤は、戦後秋田市の「寒流」に参加、更に小野昌繁の「武羅佐岐」を経て、吉植庄亮の「橄欖」に入社