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同刊

和五一年一月、『相川善一郎作品集』

)が刊行された。同六一年一月死去。

行会

奈良裕功は、二二年相川と同じく福田光山を中心とする鹿角陶器株式会社の制作に参加、絵付を担当した。所

謂「鹿角焼」で、「草花文縁高壷」「丸紋花鳥小鉢」などがある。昭和五八年死去。八八歳。昭和五〇年ごろ花

輪公民館において画業紹介の展覧会を開催、その際の紹介文は「自然の心を表現することに専念、精緻にして詩

情あふれる素直な画面は人の心をうつ」と述べている。郷土を描くことが多く、花輪の市日風景、八幡平、十和

田などは、殊に裕功が心ひかれる画題としてしばしば描かれていた。穏やかで折目正しい人柄であったという。

代表作に「太平美人」「菊慈童」がある。

奈良清四郎は尾去沢出身、戦後、モダンアート展、自由美術展に出品、三九年には主体美術協会の創立に参画

した。その後は同会展を主な発表の場にした。在京の県出身美術家が結成した秋田美術会に参加し、秋田市で聞

催の同美術展に出品した。また昭和五四年、大館市における「三洋画家自選展」に長谷川善四郎、内田慎蔵とと

もに出品している。平成三年五月死去。その追悼文のなかで、内田慎蔵は「徹底した反骨の人だった。一貫して

野獣

個性の強い強烈な自我発揮の作品で、フォーブ

の精神で生涯それで貫き通した」と述べ、また千葉三郎

は、「反骨、情念の画家-重い画題の人間存在と求道精神をキャンバスに塗りこめた独自の画風-孤独な魂

の遍歴の画家」と述べている。作品六二点を収載した『奈良清四郎画集』が平成五年に刊行された。文章は寒川

ベトナ

光太郎ほか。代表作として、「断雲」

)「親子像」「海の人」「譜幻」などがある。

ムの子

内田慎蔵は尾去沢出身、戦後満州から引揚げて、扇田中学校の教員を勤めながら制作にとり組んだ。独立協会

展、国画展に入選後、三六年、新象作家協会を創立、また相沢謙一らと秋田県美術作家協会を結成した。大館市