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八年インドで公演を重ねながらインド舞踊を研究し帰朝した。二九年九月花輪劇場等で報告公演を行った。四三
年渡欧し三カ月公演、四七年にはアメリカでも公演した。東京で大野弘史・和井内恭子創作舞踊研究所を主宰し
ている。
黒沢輝夫は、花輪川原町の出身。同じく石井漠門下で修業ののち、夫人下田栄子とともに横浜市にモダンバレ
エ研究所を開設する。初め神奈川県芸術舞踊祭などで活躍したが、最近では夫妻の創作合同作品は中央の権威あ
る最高賞に輝くようになった。
演劇
肥元の演劇活動は、戦後まもない時期から盛んであった。二三年一一月働く者の芸能祭が労働
省設置一周年を記念して花輪職業安定所により開催され、阿部六郎、小泉隆二の審査で演劇の
部一位に「幻の宿」一
尾去沢
鉱山
)が選ばれた。また二四年新しい裁判制度啓蒙の演劇として、本職の裁判官、検事ま
出演した吉田義一主演の模擬裁判劇の行われたのも当時の世相の一齣であった。同二四年、花輪演劇研究会が阿
部六郎、小田島正三郎、吉田義一らを中心に発足し、「花と泥棒」「日本の河童」などを公演している。
三七年、再び演劇サークル結成の動きがでて、公民館を中心に花輪演劇クラブ木曜会を組織し、文化祭などに
公演していたが、あまり長く続かなかった。平成年代に入って、「演劇を楽しむ会」が結成された。公民館の演
劇教室からの出発であったが、高校演劇で名のある高木豊平の指導のもとに、会員の熱意が高まり平成四年二月
の第二回公演「生き生き市日」
脚本高
木豊平
は好評を博した。