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三閉伊通が全廃、他の

郡は三分の二を減ずる

この頃大坂商人藩の蔵元とな

り重要国産の一手売買

を引受けると共に領内

限りの金銭札を発行す

家することを願い許された。

大湯紺屋灰の専売振わず、花輪方面に密灰多く

覚書

出る。十文字越に秋田へ密灰の風聞もある由。

一一·一六柴内村萬松寺後住に稗貫郡新堀村金剛寺の泰林

が仰せ付けられた。

この年 漆の植栽進み三分七分の取分、宮野平村倉沢村

一本木村風張村で六六〇本、腰廻村で八八〇本、

御次留帳

覚書

関上村で八〇〇本、堀内村で五五〇本、畑村

扇平村赤川村等で一、〇五〇本の植立願出る。

同

この年 藩では藩の産物を担保に店預りを発行し物産札

とよばれた。その引替所を花輪では佐藤屋庄六

が担当した。暮に大暴落し怨嗟の的となった。

嘉永元

(一八四八)

二月 二八日改元嘉永となる

三月 外国船松前沿岸に渡来

同

外国船五隻の乗員津軽

藤島村に上陸

同

四月

異国船松前海岸を測量

外国船出羽国沖にて堺

商船の大豆を略奪

二·一三花輪給人井上小兵衛、売職向に付大坂淡路町中

居屋甚兵衛と対談を要する件あり、当月より五

月中往復の御暇下されたいと願出て許された。

四·一二領内諸運上請負者中に、両鹿角拾歩一役として

覚書

四·

盛岡肴町長右衛門があげられている。

同

毛馬内月山社修復が行われ、大工等より三店通

用預り切手では普請に及び兼ねるので正金銭で

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