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慶応四年辰七月
花輪南部中野家
軍中御用留帳
使武者工藤友蔵
川村左学
人学蔵
川守田民人
解題
升題(栗山文一郎)
慶応四年八月の戊辰役(ぼしんのえき-戊辰戦争)には、南部藩
の総大将楢山佐渡、総参謀向井蔵人以下の軍勢が、八日夜から九日未
明にかけ、鹿角から四手に分れて秋田藩領に攻め入ったことは別掲
遺烈余芳」の冒頭にもあるが、花輪南部中野吉兵衛部隊は開戦当初よ
り後方警備の任に就き、主として十二所進駐、別所、三ツ矢沢新田な
どを基盤に陣地を堅める一方、連日物見-斥候を派遣し情報蒐集に
つとめ、各隊との連絡にも任ずるなど、中継基地の役目も果していた
から、日々伝わる前線の状況も併せ記されてある。同部隊の作戦指導
に当った目付監軍は先祖を鹿角にもつ小枝指柳五郎であったことも奇
縁である。
七月廿八日
御代官処より御触達左に、兼て御定めの御相図も有之候えども敵の
謀計に寄布而合印の為に不覚に相成候儀は儘相聞え候。応時御定の
外に御合印有之度き事に候えども種々の御印御用意相成候ては軍中
煩わしきの患も有之候間、以来出張の節は黄木綿三尺余きっと用意
あるべく、隊長の指揮次第胴手足の内え一統一様に結び付け、一品
にて種々の用に相成可申。尤も出張先隊長の見切次第御任せ被成旨
被仰出。
同甘九日
十文字え御番処御建て被成。御給人十人留め置かれ候えども御給人