テキストを表示

第九集からはじまった大湯南部(北)家御次留帳の紹介も、今回の慶応二年分をもって全七冊が完了しました。

慶応二年(一八六六)はまさに幕末。この年は第二次長州征伐など動乱にあけくれし、御次留帳の中にも西洋

銃隊調練のことが見えます。また幕府からの通達には、西洋風の服装をいましめるものがありますが、盛岡藩の

侍たちはどうだったでしょうか。

一方この年は引続く凶作で全国的に農民一揆が激化しており、文中にも藩内の愁訴の件が記されています。ま

た、穀留が実施され、盛岡から米を持ち出すことが禁じられました。そのほか、腰廻村、中野村等の間で草刈争

論がもちあがり、ケガ人も出ています。そのほか、京都御所警衛の交代、米の貸付、材木の切出し等々、興味深

い記事があります。

原本の解読は協力員の渡部幸三郎氏が行い、嘱託の安村二郎氏が全体を点検しました。たんねんに細かい作業

を進められた各位、及び原本所蔵の諏訪綱毅氏に対し厚く御礼申し上げます。

(市史編さん室主任阿部正記)