開拓以前のこのあたり林野の様子を知ることができる貴重な自然林です。東部地区が含まれる石狩平野は、温帯と亜寒帯がちょうどぶつかり合う場所にあり、北海道における「植生の分岐点」といわれています。温帯を好む落葉広葉樹と亜寒帯を好む常緑針葉樹が混生する「針広混交林」が特徴です。
その歴史は、野幌原始林はもともと野幌官林(野津幌官林=明治4年指定の国有林、5.600ha)でした。明治23年に道庁管轄から、御料局管轄の「御料林(皇室財産)」となったので、開拓期にあっても簡単には払下げになりませんでした。しかし、和田郁次郎が明治27年に「野幌御料林の解除運動」を起こし、28年1月に道庁直営の官林に編入され、野幌原野として一部の土地が払い下げられ開墾されていくことになります。けれども和田郁次郎は、江別を開拓した北越殖民社の関矢孫左衛門と共に原始林保護の直訴もおこなっています(明治32年4月8日)。野幌官林は農村を確立するための水利を涵養(かんよう)し、農作物を風害から守る森林であり、移住者の生活安定の為に不可欠と考えた和田郁次郎は、水源涵養林として野幌官林をきちんと区分して(札幌・白石・広島・野幌)保護するよう、当時長官の園田安賢に訴えました。
広島村開拓の祖 和田郁次郎
その後大正10年、江別市から北広島市にかけて置かれていた元農林省北海道林業試験場の試験林が国有林として指定されます(320ha)。戦中・戦後に大量に伐採が進みますが、昭和25年に文化財保護法が成立し、これにより昭和27年3月29日「国指定特別天然記念物 野幌原始林」となります。昭和29年の洞爺丸台風の風倒被害によって大部分が指定解除となり、現在は北広島市内の3林班のみが残っています。正確にはこの3林班(約40ha)が、特別天然記念物野幌原始林となります。隣接した森には北広島レクリエーションの森があります。
【注意しましょう】
野幌原始林は国有林の中にあり、貴重な文化財です。人の立ち入りはできません。草花の採取、木々の伐採も禁止されています。
「札幌郡之図」石狩國の7官林
郷土研究北ひろしま16号