北広島開拓の祖、和田郁次郎(わだいくじろう)

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 和田郁次郎は、弘化4年(1847)、旧広島藩安芸国沼田郡段原村(現在の広島市南区段原町)山田家に生まれ、後に和田家を継いで名を郁次郎と改めました。明治15年(1882)、北海道開拓を志した郁次郎は、河野正次郎とともに渡道。各地を調査して農業の可能性を実感すると、翌16年(1883)、再び渡道し石狩国札幌県月寒村字輪厚を適地と定めます。同年、谷川杢左衛門、村上源九郎、松田岡十、武田与市、長谷川倉助が渡道し、移住者用の小屋掛、道路開削、種子の手配、開墾地100万坪の請願などを進めました。こうした準備の下、17年(1884)、広島県人25戸103人が入植しました。
 

和田郁次郎(1847-1928)
 
 明治26年(1893)、385戸田畑は600町余り(約6km2)に広がった広島開墾地を見た北垣国道北海道庁長官は、郁次郎の業績を高く評価し、「和田村」としての独立を勧めました。しかし郁次郎は郷里広島の人々と一村を開く計画を進めてきたので「広島村」としていただきたいと申し出て、明治27年、大曲・島松とともに札幌郡月寒村から独立して札幌郡広島村が誕生しました。
 また、第2第3の広島村の開村にも労を惜しまず、現在の札幌市西区西野や奈井江町厳島地区などへの広島県人の入植・開墾にも着手し、成功しています。
 開墾後6年目に新築した郁次郎の自邸は、郵便局としても使用され、郁次郎が初代局長を務めました。また、明治27年に広島村が開村した際には、村役場としても使用されました。
 

和田郁次郎の自邸
郵便局や村役場として使用されました。
自邸の模型は、エコミュージアムセンター知新の駅に展示されています。