水害との戦い

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 東部や南の里エリアは石狩平野の低地帯に位置し、大雨が降ると頻繁に氾濫し、家屋の浸水や田畑の水没、家畜の溺死などの災害と共にありました。島松川・輪厚川・音江別川が増水すると、低平地の河川のため千歳川が増水し逆流し、字裏の沢・中の沢・音江別一帯が浸水しました。公記録では、明治31年、昭和25・28・31・36・37・40・41・46・50・56年に大きな水害があったと記録されています。
 

昭和25年の大水害の様子
(道道江別恵庭線から共栄町をみる)