明治2年に設置された開拓使は、札幌圏へ広葉樹などの堅材の供給のため、周辺の森林を官林として指定し無許可での伐採を禁止しました。しかし、大曲は官林の範囲ではなかったので、比較的早い時期から林業を主として栄え、札幌本道の街道沿いには商店や宿業を営む人も現れました。明治27年頃から昭和15年頃までの開拓期では120戸から60戸前後の人口推移でしたが、主に杣夫(そまふ・林業従事者)、炭焼き、製材、運搬等を本業として、農業は自家用でした。森林資源が減少すると伐採跡地を耕し畑作や酪農をする人が現れました。
村は地帯別農業の構想を打ち出し、昭和40年代大曲は大規模な酪農地帯へと転換します。一方で、昭和30年代に始まった住宅団地の開発と工業地化が進むにつれ離農する酪農家が増え(※)、大曲の農業景観も大きく変化していくことになります。
※昭和44年:酪農家40戸、飼育頭数557頭
昭和59年:酪農家7戸、飼育頭数157頭