現地で見学・観察可能です。 直接見学はできませんが今でも様子がわかるものです。
1 大曲 交通
大曲 由来となった道
現在の国道36号の基になった札幌本道は、明治6年に完成しました。かつてこの道をたどり札幌へ向かう人は、島松駅逓所などで休憩をとり、三里塚(現:里塚)へ向かいました。しかし、三里塚へ行くには、大曲川の深い谷を一度下り、橋を渡ってから再び坂を登らなくてはなりませんでした。この大きく曲がる道は「大曲」と呼ばれ、「室蘭街道七曲難所」の一つに数えられました。これが、いつしかこの一帯の地名となりました。明治期、この道沿いには商店や宿屋がありました。
所在地:大曲並木1丁目付近、大曲北通線
2 大曲 遺跡
大曲B、C遺跡
道央自動車道建設工事に伴い昭和51、52年に発掘調査が行なわれました。野幌丘陵の丘頂部に位置するこの遺跡は、北海道の南と北双方の文化的要素が見られ、石狩低地帯が南北文化の交差点であることが裏付けられました。縄文時代晩期の住居跡1か所、円形ピット2か所ほか、土器片・石器などの遺物が約3000点も出土しています。
※ピット:穴状の遺構
所在地:大曲緑ヶ丘2丁目他、大曲796
3 大曲 寺院
来広寺
昭和5年創立。大曲の開拓が進むと住民の要望もあり、村長中村佐久弥と中山留蔵が協力して、中山家から提供された家屋に本堂が建立されたのが始まりです。昭和8年、中山家の土地であった現在の場所に新築を建立します。昭和25年に寄進されます。
中山留蔵は、1861年(文久元年)大阪府南河内郡磯長村に生まれます。明治9年15歳のときに北海道に来て島松に住む叔父中山久蔵の元に到着しました。その後中山久蔵の養子になり、中山家の土地が大曲にもあったので、その場所で農業や宿業を営みました。
所在地:大曲幸町2丁目1-2
4 大曲 開拓
酪農地区だったことを偲ぶサイロ
道央自動車道北広島インターチェンジの南側に、ブロック積みのサイロが建っています。昭和40年代、村の地帯別農業の構想により大曲地区は酪農地帯へと変化します。一方で同時に工業地化が進みます。開拓期は、炭焼きや製材などの林業が主、その後畑耕作地へ、さらには一大酪農地帯となった大曲地区ですが、今でもその姿はいくつか残るサイロで偲ぶことができます。
所在地:大曲中央1丁目
私有地のため立ち入りはできません。
5 大曲 交通
大曲東通
大曲東通は開拓期の頃からの古い道です。現在の札幌市もみじ台や北広島市西の里には、明治17年頃から団体入植があり、主に炭焼きを行なっていました。作った炭を札幌に運ぶには厚別に出れば近いのですが、当時厚別には湿地が広がっていて通れず、わざわざ険しい野津幌川上流域(立花川沿い)の尾根づたいを登り大曲へ出て札幌まで運びました。その時に使われたのがこの大曲東通です。
6 大曲 交通
百年橋
道道栗山北広島線が道央自動車道と交差する部分に、「百年橋」という名前の橋が架けられています。橋の完成は昭和46年9月です。当時このあたりにはほとんど住宅がなく、野菜畑だけ。道路も砂利道で、時おり路線バスや野菜を積むトラックが通る程度でした。この橋を着工した時期が、北海道に開拓使が置かれてから100年であったことにちなみ、百年橋と名づけられました。
所在地:大曲末広1丁目、大曲中央通
7 大曲 遺跡
大曲A遺跡
縄文時代の住居跡が発見されました。
所在地:大曲緑ヶ丘1丁目付近
8 大曲 石碑
御野立処の碑
明治44年建立。大曲川や輪厚川上流域に位置する大曲は、開拓以前から湧き水が出る場所がいくつもありました。明治13年頃、三宮栄蔵が札幌本道を通行する人のために、湧き水の側に休憩所を設けました。さらに明治14年、明治天皇が北海道巡幸に合わせ、地元の人たちによって現在の大曲中学校正門左横のこの碑の辺りに御休場が造られました。それを記念し地域の人たちにより建立されました。
所在地:大曲中央2丁目4 大曲中学校体育館横
9 大曲 教育
大曲尋常小学校の校門
大曲会館の裏に建つレンガ積みの門柱。学び舎の変遷を今に伝える校門です。左門に「札幌郡廣島村立大曲小學校」、右門には「廣島村立大曲中學校」と書かれた表札、また左門の裏には「大曲尋…」と読める割れた表札が入っています。大曲小学校は明治25年、月寒小学校厚別分教所として大曲川の近くに移転されます。明治27年広島村開村を経て、明治32年村立大曲尋常小学校に改称され、明治42年には現在の大曲中学校旧校舎の辺りに移転します。昭和22年大曲小学校と改称、昭和53年に柏葉台に移転します。
所在地:大曲中央2丁目4付近(大曲中学校北側、大曲会館の裏)
10 大曲 神社
大曲神社
諸説ありますが明治30年頃、中山留蔵と富谷平吉が発起人となり、中山留蔵の敷地内に建てられたのが始まりです(現大曲並木3丁目付近の大曲川沿い)。何度かの移転と改築を経て、現在の社殿は平成7年に改築されました。大曲地区の歴史を見つめてきた神社です。
所在地:大曲柏葉1丁目2
11 大曲 交通
四里塚 札幌本道と街道を偲ぶ地名
国道36号沿いの大曲柏葉5丁目付近は「四里塚」とも呼ばれます。明治6年、現在の国道36号の基礎となる札幌本道が開かれ、一里(約4キロメートル)ごとに里程標(りていひょう)が建てられました。室蘭まで三十四里あり、札幌本道は別名「室蘭街道」とも呼ばれました。札幌本道の起点は、豊平川(創成橋)で現在記念碑が建っています。二里塚は現在の札幌ドームあたり、三里塚は平岡南公園あたり。三里塚から南東に進むと大曲に入り、やがて四里塚に至ります。当時そこには里程標とともに木が植えられていたと考えられますが、今ではその場所を知る手掛かりはありません。明治37年の古地図に「四里塚」という地名が記されていますが、今では町内会館の「四里塚会館」、「四里塚公園」という名称が残るだけとなりました。現在の島松地区あたりに五里塚があるはずですが、こちらは名称を残しているものはありません。
所在地:大曲柏葉5丁目付近
12 大曲 交通
明治16年に開かれた道「大曲道路」
村史(昭和35年発行)によると、明治16年、現在の北広島交番の辺りで広島県人の入植準備を始めた和田郁次郎と谷川杢左エ門ら6人は、翌春に入植者を迎えるため開拓小屋11棟を建て、札幌本道(現在の国道36号)までの道路を開きました、後の大曲道路です。この明治16年に開かれた道は、輪厚川の沢沿いを上り、比較的傾斜のゆるい大曲東通付近で尾根を上り、現在の道道栗山北広島線に沿い、大曲北通へとつながっていました。道の長さは約8km、大木を切り出し、地をならす作業が冬の間続けられ、工事は困難を極めました。翌17年5月、広島県からの団体が小樽に着き、札幌、大曲を経て中の沢を通り、広島開墾地に入りました。なお、現在の大曲道路はかつての道筋と異なります。
所在地:現在の大曲北通~道道栗山北広島線
13 大曲 石碑
大曲東通の馬頭観音
入口には鳥居と「馬頭観世音菩薩」と彫られた標柱が立ち一見神社のような佇まいですが、北広島で一番古くから祀られている馬頭観音です。道道栗山北広島線と大曲東通の辻に祀られています。明治33年、佐藤芳蔵、坂本利作、坂井次助らによって祀られ、その後も大曲地区の人々の手によって大切に守られてきました。
所在地:大曲東通、大曲411付近
14 大曲 交通
国道36号(札幌本道、室蘭街道)
北海道が蝦夷地と呼ばれていた時代(約300年前)、太平洋と日本海を結ぶ道は、主に川を利用して船で移動しました。その後明治時代になり開拓使はアメリカ人のホーレス・ケプロンの指導を受けて、函館から札幌まで道内初の馬車道を開きます(森から室蘭は海上移動)。それが明治6年開通の「札幌本道」で、当時は道幅が7m程でした。現在の国道36号は、昭和27年に着工し1年余りで延長34. 5kmの区間を完成させたことなどから通称「弾丸道路」と呼ばれ親しまれています。なお、旧島松駅逓所前の道がかつての札幌本道でした。室蘭と札幌を結ぶ道路でもあったので別名室蘭街道とも呼ばれています。
15 大曲 交通
野島の坂
この道は、輪厚川の沢をS字に曲がりながら降りてまた登って渡る室蘭街道(国道36号)の中でも一番の難所だったそうです。昭和27年の改良舗装工事の前までは、道幅7m程で、素掘りの側溝があるだけの簡単なものでした。雨が降った後は、多くの馬車がぬかるみに埋まり、そのまま投げ捨ててあったり、脚を折って動けなくなった馬も生きながらそのまま放置されたということです。
所在地:大曲320付近、国道36号
16 大曲 石碑
大曲の馬頭観世音菩薩
昭和10年青山峻一氏建立。野島の坂の付近の室蘭街道沿いに建てられました。亡くなった馬の霊を慰め、街道を通行する馬の安全を願って建てられました。その後、国道改良工事により場所を転々とするも、現在の場所で大切に祀られています。
所在地:野島の坂付近、私有地のため立ち入りはできません。