古記録にのこるシュママップ(島松)

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 島松という地名の由来はアイヌ語の「シュマ・マッ・プ(岩石のある川のところ)」です。では、どの場所を指してアイヌの人々はそう呼んだのでしょうか。島松川上流域には支笏火山噴火堆積物である島松軟石が沢沿いに露出していて、そのあたりはかつてアイヌのコタン(村)があったとされています。現在でも旧島松駅逓所のある島松沢あたりでは由来どおりの景観が広がっています。
 

北広島市史 p51より転写
 
 一方で、1780年頃から幕末期まで石狩川流域でのサケ漁と交易を行なう元小屋のある場所を「石狩十三場所」と呼び、シュママップはその十三場所のひとつでした。江戸時代の古地図には、島松川下流域(千歳川合流地点)にシュママップと記されており、サケ漁労の拠点として一時は賑わい、松浦武四郎などの旅行記にも記録されています。
 

シュママップ・島松川上流域の絵図
松浦武四郎、安政3-5年「西蝦夷日誌」5編 北海道大学付属図書館北方資料室蔵
 
 また島松川は、幕府直轄時代の西蝦夷地と東蝦夷地の境界でした(北広島側は西蝦夷地、恵庭側は東蝦夷地)。その後明治政府が制定した新しい地方区分では、石狩国と胆振国の境界になりました。現在は、恵庭市との境界になっています。