ウィリアム・スミス・クラークは、1826年米国マサチューセッツ州生まれ。マサチューセッツ農科大学の学長となり、明治9年(1876)50歳の時に開拓使に招かれ札幌農学校(現北海道大学)の教頭、及び農学・化学・数学・英語の教授になります。当時の札幌農学校は学生24人。後に同校校長となる佐藤昌介や、道職員として開拓農民の入植地決定など実務で名を残した内田瀞など、後に北海道の発展に貢献する人物を多数輩出しました。
ウィリアム・スミス・クラーク(1826-1886)
明治10年(1877)4月16日、任期満了のクラークは職員や学生たちと札幌を後にし、約20km離れた島松(現在の北広島市島松)に到着。別れの時がきて馬上の人となったクラークは、教え子たちに向かい「ボーイズ、ビー、アンビシャス(青年よ、大志を懐け)」と叫ぶと馬に鞭を振い、米国への帰途につきました。
クラークが築いた札幌農学校の基礎とフロンティア精神は、後輩に継承されて北海道の農業・土木・医療などの発展に大きく貢献。「大志を懐け」の言葉は皆に勇気を与え、今日の日本を築いてきたといえます。
北広島市のカントリーサイン