いつの頃か、島松駅逓所から少し入ったところに、誰呼ぶともなしに「ほうかぶり地蔵」とよばれ親しまれているお地蔵さんがあります。もともとは島松に住む長谷川さんのお父さんが建てられたものです。太平洋戦争で長谷川さんの末の弟さんが戦死。その翌年、昭和18年南方に行った長谷川さんの無事を祈って建てたものでした。
終戦を南方トラック諸島で迎えた長谷川さんが島松に帰ってきたのは、暮れも近い12月のことでした。半袖姿で疲れきった長谷川さんを一番先に出迎えてくれたのが、雪の中から頭を出していたこのお地蔵さんでした。
何年かたって長谷川さんは、今度は村の人を守ってほしいと農道にお地蔵さんを移しました。毎日「今日も元気に行ってくるよ」と出かけるある朝、寒かろうと腰のタオルでほおかむりをしてあげました。するとお地蔵さんがニコッとほほえんだように見え、少しお父さんに似ている気がしました。それ以来道行く人がかわるがわるほおかぶりをかぶせてくれるようになり「ほおかぶり地蔵」と呼ばれるようになったのです。今も道端に立つこのおじぞうさんの話は、戦後50年経った平成7年、初めて長谷川さんが語ってくれたお話でした。
本文・イラスト「きたひろしま歴史物語」1996年,北広島市