西の里開拓の先駆者は、明治22年10月28日に入植した阿波(徳島県)の蜂須賀藩の家老の家柄であった三河林蔵です。このあたりの山林には明治18年頃にはすでに杣夫(そまふ)とよばれる林業者が入っていましが、林蔵は家族を携え単身で居を構え、背後の山を少しずつ切り開き、畑を拡げていきました。林蔵は、明治39年から41年にかけて広島村議会議員、明治39年から45年までは村の学務委員(現在の教育委員)を務め、大正9年、自ら所有する土地を他者に譲り徳島に帰郷しています。
西の里の開拓者 三河林蔵