大曲・島松・広島開墾地の3集落が明治27年2月に月寒村から分村し、「広島村」が開村します。その頃の西の里は「野津幌官林」の範囲内でした。北海道庁は明治28年2月23日付で「北海道土地払下規則」に基づく移住民の公募を行ないました。野幌の国有林内に223戸を入植させる計画で、その内の約100戸程が今の西の里に入植しました。明治30年には「北海道国有未開地処分法」が公布され、自ら開墾した土地が無償で与えられました。これにより西の里の開墾地がさらに広がります。
西の里、明治後半頃の開拓者分布図
出典:「風雪百年―西の里郷土史」p.31 西の里の明治の開拓者分布図より一部加筆