4-2 西の里エリアの歴史遺産

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 現地で見学・観察可能です。  直接見学はできませんが今でも様子がわかるものです。
1 西の里 昔話 
立花橋(たちばなばし)
 
 
 
札幌市と北広島市の行政界でもある野津幌川。その野津幌川にかかる橋に「立花橋」があります。明治23年に広島街道が開通した当時は、このあたりは曲がりくねった坂道の難所でした。しかし恵庭や千歳の人たちは札幌に出るのに札幌本道(現国道36号)ではなく、この道を通りました。そのため人馬の行き来が多く、立花橋付近にはいくつもの商店や飲食店が軒を列ね賑わっていました。その中に売れっ子芸者「立花」が営む茶屋があり、通称「立花の坂、立花の沢」と呼ばれ今では橋の名前として残っています。大正15年の北海道鉄道の開通と共に商店はしだいに無くなっていきました。
所在地:虹ヶ丘8丁目1付近
 
 
2 西の里 交通 
旧国道274号
 

 
この道は札幌道路(後の国道274号)の一部でした。通称広島街道とも呼ばれ、明治23年に中の沢(現在の北広島交番の辺り)から札幌に通じる道として開きました。その後、昭和44年に道央と道東を結ぶ国道に指定されます。国道274号は札幌市から道東の標茶町まで365.8km、北海道内で最も長い国道です。
所在地:山根園パークゴルフ場裏
 
 
3 西の里 開拓 
三河林蔵 開墾地
 
 
 
阿波(徳島県)の蜂須賀藩の家老の家柄であった三河林蔵が明治22年10月28日当時の野津幌官林に入植します。36歳で3人の子供を連れての開墾は厳しいものでした。ここから西の里開拓の歴史が始まります。
所在地:大曲東通り線、野津幌川沿い・山根橋近く
 
 
4 西の里 地蔵尊
みな女じぞう
 

 
上野幌では野津幌川の右岸(北広島市側)にも秋田県から数戸が入植しました。かつて墓地があり、今では雑木林になっている場所に高さ50cmくらいの小さな石仏があります。誰がどういう目的で祀ったのか記録はありませんが、一つの手がかりは「明治十八年十二月十一日」「みな女」と刻まれていることです。北広島市の中で一番古いお地蔵さまだと考えられています。
所在地:私有地のため立ち入りはできません。
 
 
5 西の里 遺跡
西の里2遺跡
 
 
 
1982年、北広島西高等学校の建設にあたり調査したところ、約1,000m<sup>2</sup>におよぶ埋蔵文化財包蔵地を確認しました。縄文時代中期から後期にかけての土器・石器などの遺物と、エゾシカ猟に使われたと考えられている陥し(おとし)穴「Tピット」という溝状の遺構四基が発見されました。竪穴住居跡がなく遺物量も少ないことから、西の里2遺跡は、狩猟や採集活動のためのキャンプサイトと考えられています。
所在地:西の里東3丁目(西の里公園の北端)
 
 
6 西の里 神社 
西の里神社
 

 
もとは野津幌川左岸(現札幌市厚別区)に建立された野幌神社(明治30年奉斎)と、明治26年に徳島県から西の里に入植した50戸の守護神であった椴山出雲神社(明治31年建立、西の里155番地付近)が合祀され西の里神社となり、平成3年現在の場所に移転しました。
所在地:西の里373-4
 
 
7 西の里 石碑 
風雪百年の碑
 

 
1989年(平成元年)西の里神社境内に建立。
西の里開基百年を記念し、て建てられた記念碑。碑文には「果てしなく広がる原始林と草むらにはただ北風が吹き渡るだけのまことに寂しいところ。これが一世紀前のここ西の里の姿であった。」と記されています。
所在地:西の里神社境内
 
 
8 西の里 景観 
プラタナスの並木道
 

 
国道274号沿い西の里東4丁目の辺りから椴山にかけてプラタナスの木が並んでいます。昭和天皇の御大典記念として国道沿いに約13km、東は共栄から西は白石神社まで続いたとも言われています。昭和59年、国道拡幅に伴い伐採されることになりましたが、西の里連合町内会の運動により一部移植が叶い、現在に残っています。
所在地:国道274号沿い
 
 
9 西の里 開拓 
椴山頂上付近
 

 
昔はトドマツの生い茂った場所だったので椴山と名づけられました。椴山の最高地点は西の里中学校付近でおよそ97mです。西の里中学校前から札幌方面にまっすぐ延びる道路は、その道を開削するとき、一番高い椴山の頂上付近で太鼓を鳴らし、その音を頼りに道を切り拓いたと伝えられています。
所在地:西の里中学校通線
 
 
10 西の里 石碑 
水道発祥の碑
 

 
椴山地区の戦後開拓者たちの飲料水や灌漑用水のために深井戸を掘り水道管を敷設したのが北広島の水道発祥になります。昭和38年、広島村簡易水道事業が認可、椴山で汲み上げた水で東部地区への給水が始まります。
昭和55年には漁川ダム(恵庭市)からの給水が始まり椴山の地下水源は四半世紀にわたる役目を終えました。
所在地:西の里配水地の敷地内
 
 
11 西の里 交通 
市道中央線
 

 
西の里中学校付近から野幌森林公園内の椴山口を通り,尾根伝いに南北に貫き,江別市の大沢口(文京台)まで続いています。明治24年の地図にすでにこの道の記載があることから、古くから使われてきた道であることが分かっています。
 
 
12 西の里 交通 
ベコネ沢、ベコ沢
 

 
国道274号の西裏線交差点から裏の沢川上流に向かって、かつて沢沿いに道がありました。地区の人々は「ベコ沢」と呼び、明治30年頃までこの沢沿いの道を登り大曲へ通っていました。現在では、エルフィンロード(自転車道路)の「水辺の広場」の中に裏の沢川の沢があり、当時の様子を偲ぶことができます。ベコとは東北地方の方言で「牛」を意味しますが、由来は不明です。
 
 
13 西の里 昔話 
行幸橋(ぎょうこうばし)
 

 
国道274号を共栄の交差点から上野幌の方に向かって進むとバス停があります。昔そこには裏の沢川にかかる「行幸橋」という橋がありました。今はその橋はなくなってしまいましたが、「行幸橋」というバス停だけが名残となっています。
【きたひろ昔話へ】
所在地:国道274号・西裏線交差点近く
 
 
14 西の里 開拓 
戦後開拓の4地区
 

 
昭和20年の終戦後、政府は食料増産と民生安定を兼ねて、疎開者や引揚者に対して「緊急開拓」事業を全国的規模で行ないました。市内では214戸、そのうち西の里地区で63戸の入植がありました。昭和21年、野津幌官林の土地を一部解放し、新しく光源・平和・北光・新光の4つの地区が作られました。