生き残ったエゾシカ【その壱】第二話

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 北海道のシカはエゾシカといって本州のシカより大型です。昔はたくさんのシカが北海道にいました。そのころアイヌにとってシカはたいへん役にたつ動物でした。肉は食べて皮は着るものや布団のかわりになり、靴にもなりました。角は鍬にしたり、槍の先につけたり、弓の矢にしたりしました。明治になるとシカの皮は何万枚も売られましたし、角は中国に売られていきました。明治十三年(一八八〇)には百六十トンといわれています。缶詰エ場もあちこちにでき、千歳線の美々では明治十一年から三ヶ年間に十一万トンもシカの缶詰がつくられたそうです。そのシカも大雪のため凍死して、明治二十二年(一八八九)ごろには姿が見えなくなりました。でもエゾシカは山奥に生きのびていたのですね。ひろしまではシカを見た話は聞きませんが※、角をひろった人はたくさんいます。しかし昭和三十年に高台(いまの北広島団地のあたり)でシカをとれたという話があります。
 
※2009年現在、エゾシカは全道的に増加しており、北広島周辺でも比較的よく見られる動物となった。市中心部でも、レクの森周辺に小規模の群れが確認されている。