シママップ(島松)のタカ場【その壱】第六話

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 タカは今も広島にいますね。タカとワシとは同じなかまで、大形のものをワシ、中形より小さいのをタカと言っています。タカは昔から殿さまのタカ狩りに使われました。タカ狩りはそのころの軍事訓練でもあったわけです。そこで使われるタカは国中のあちこちから、高い値段で売られていったといいます。そのころアイヌ人とわずかの和人(前からいた日本人)が千歳川沿いにサケなどをとって暮らしていました。シママップのタカ場(鳥屋ともいいました)は、シコツ十六場といってタカのとれる場所として知られていました。タカをとらえるのには、地上にあなをほって草の屋根をかけ、ハトやニワトリをつないでおいて、おそってきたタカを手でとらえたり、アミをかぶせてとったのです。それらのタカは、津軽藩から行列をつくって送られていったといいます。広島に移住者が入ってきたころには、もうタカ場もなく、昔ばなしとして残っているだけでした。シママップ(島松)も川の流れがかわり、いまとはようすがちがうということです。